地元独特なお盆の風習「お盆の墓参りを夜行うのって変なんですか!?」【子供の頃のお盆の思い出】
私は普段から
「ブログでどんな事を書こうかな?」
「どんな情報を発信したら楽しんで貰えるかな?」
こんなことを考えながら日々生活を送っています。
そんな今日(7月15日)も、朝目が覚め、ベッド上でゴロゴロしながら
「もう夏だなぁ~夏と言ったらなんだろう?」
「夏祭り?でも今年は無理だろうなぁ~」
このように思考を巡らせていました。
すると何となく
「じゃあ、夏と言ったらお盆じゃないかな?」
このように浮かびました。
するとお盆にまつわるこんなエピソードを思い出したので、良ければ聞いていって下さい。
なお、世間一般的な
「お盆とは何か?」
「何をどのような手順で行えば良いのか?」
のような知識についてはこちらをお読みください。
「お盆の墓参りは昼間やるよねぇ~!」
8月13日~8月15日までの3日間。
日本ではお盆と言って、先祖の霊を家に招き、一緒に過ごすという風習があります。
無宗教だとしても、先祖を尊敬し、祀る感覚を持つ日本独特な風習ですね。
そして、全国的にはこのお盆の墓参りは昼間、出来れば午前中に行うのが普通です。
先祖を迎える作法の大まかな手順としては
①、墓参りをする
②、家の前に迎え火を焚く
③、近所・親戚等と食事をする
となっていると思います。
墓参りを済ませ、家の前に迎え火を焚くことで、先祖が迷わないで帰宅できるようにするという意味合いですね。
そして、帰宅した先祖をもてなしたり、楽しんでもらうために親しい近所の人達や親戚と一緒に食事をする。
このような意味合いがあるので、どの手順にも、行動にも意味があるわけです。
「えっ!みんなはお盆の墓参りを昼間やってるの!?」
<お盆当日の昼間>
しかし、私の生まれた実家の地域はお盆の墓参りは夜に行います。
これは私の家だけの話ではなく、地域全体の話です。
そのため、実家にいたころの子供の私は、お盆初日の8月13日は朝から普段家にある仏壇の掃除や、お盆用の特別な仏壇設置のお手伝い!
でも、いつもと雰囲気の違うそのイベントにいつもワクワクしていました。
田舎の生活では、暗くなってから外出する事なんて滅多にありませんから、それも楽しみの一つでした。
午前中に仏壇の掃除、線香を立てる灰をキレイにして、お盆用の仏壇の設置もほぼ完成。
家族みんなでお昼ご飯を食べます。
その後はお盆専用の仏壇の仕上げと、お供え物をして、墓参りの準備も開始します!
お墓参り用の花を摘んできて水につけておきます。
お墓にお供えする団子を作り、母親とお婆さんは夜に親戚を招く食事の準備。
私のような子供はお手伝いが終わったら墓参りに出掛ける用にお風呂に入って汗を流し、着替えを済ませて、後は出掛けるまで
『そわそわタイム』
お盆特番のようなテレビを見たり、準備をしている大人達の辺りをうろちょろしたり。
そうこうしているうちに空がうす暗くなってきます。
そうしたら家の前で迎え火を焚き、墓参りに必要な物を車に積んで行きます。
そうなんです。
私の地元では、迎え火が先なんですね。
ともかく、準備を終えて一家総出で墓参りに向かいます。
<お墓参り>
途中で信号に引っ掛かったとしても、車でモノの5分の場所にあるお寺にお墓があります。
駐車場についたら提灯のロウソクに火を点けます。
まだ暗くなり始めの時間帯なので、提灯の明かりはそこまで必要ではありません。
しかし、それは雰囲気というモノで、提灯を持つと漂ってくる和紙独特の匂いと、お墓から風に乗ってくる線香の匂い。
更に、高齢者独特の何とも言えない、”あの”匂い。
そんな様々な自己主張の強い匂い達が混ざり合って、鼻を通り過ぎて行くのが本当に好きでした。
「僕が提灯を持つ!」
と家族の先頭を歩いて、お墓までの坂を登っていきます。
みんな同じ時間帯に墓参りにくるので狭いお墓はかなり混雑しています。
近所のお墓ですので、坂道を登りながら見知った顔とすれ違う度に
「○○君!○○ちゃん!!」
なんて声を掛け合いながら進んで行きます。
そうして駐車場から歩いて5分。
目的のお墓に到着します。
到着するとまずは墓石に水を掛けてゴミを洗い流します。
私の地元のお墓の地面は基本的に土。
普段風雨にさらされ、固まった土は硬くなっており、そのままでは盛り土が硬過ぎて線香が刺さりません。
そのため、盛り土にも水をかけて線香が差さりやすいようにします。
そしてお供え物と花を供えます。
そして最後に線香に火を点けていきます。
特に火を燃やすスペースはないのですが、何せ地面が土の田舎のお墓ですので、自然と空きスペースが線香に火を点ける専用スペースとなっていきます。
線香の包装紙を解き、その自然発生的に出来上がった線香に火を点けるスペースで燃やし、線香に火を点けていきます。
一度に大量の線香に火を点けるので風が吹いて
「うわぁ~煙い!ごほっごほっ。って、線香熱い熱い!」
となるのはもはや風物詩と言ってもいい光景です。
自分達の一族のお墓に線香を供え、余った線香は近所の人達のお墓にも備えて、使い切る。
今思うと不思議な光景かもしれませんが、その地域では極自然のことでした。
お墓参りが終わると、車に戻り、次のお墓へ向かいます。
私の実家には何故か、その墓地にあるお墓以外に、山奥にひっそりとたたずむ、墓石もない、盛り土がされているだけのお墓が一つだけあるんですね。
そこに向かうんです。
<山奥にある謎のお墓>
そのお墓が誰のお墓で、何故そこだけそのようになっているのかは今でも謎です。
しかし、家族みんなが最初に向かうお墓以上に敬うようにお墓参りをするので、きっとご先祖様というにはあまりに近しい親族か、何か強い恩を受けた人物のお墓なのか。
そのお墓への道のりは、道路はキチンとアスファルトで舗装されているとは言え、うっそうと茂る山道を登っていき、最後に見掛けた人家を更に超えて、深くに入っていきます。
時間帯は夜の8時頃。
いくら日の長い夏とは言え、既に辺りは真っ暗になっています。
そして街灯もなく、完全な暗闇が支配する山の中です。
そんな山道を車で進んで行くと、急に車を止めるくらいのスペースと、道路を挟んで向かい側に深さ1メートル、全長5メートルくらいのくぼ地が現れます。
そのくぼ地に目当ての墓地があります。
道路の向かい側に車を停めて、ヘッドライトで照らしながら墓参りをします。
線香に火を点け、残った線香を大量に刺していきます。
「いつもこんなところで一人寂しいだろうから、墓参りのときくらいは賑やかにしてあげないとな」
こんな言葉が浮かんでくる、そんなお墓です。
手を合わせていると、遠くの方でフクロウが
「ほぅ~ほぅ~」
と何度も鳴いています。
先ほどまでの人混みで騒がしかったお墓とは一転。
とても静かで、何か音を立てたり、ふざけた事を言ってはいけない。
『人間がその場に入り込んでいることこそが違和感』
そんな厳かな雰囲気が辺りを支配します。
子供ながらにそんな雰囲気を感じ取りならが、墓参りを終えて帰宅します。
<近所の人達との食事>
墓参りから帰宅すると、近所の遠縁に当たる人達が既に家に来ています。
そうしてそのまま宴会のような食事会が始まります。
「いただきます」
最初は大人も子供も、とにかく食べる、食べる。
好きな物を好きなだけ食べられるので嬉しくて仕方がありませんでした。
「ほら子供ら!これも食べろ!」
なんて言われるがまま食べまくります。
私のお気に入りはいつも決まって寒天。
コーヒー寒天、牛乳寒天、フルーツ寒天
等々。
そしてスイカ!!!
正直、他にどんな食べ物があったのかすら覚えていません。
私にとっての好物としての記憶は
『寒天とスイカ』
なんですね。
お腹一杯になり、大人達もお酒が回って酔い始めると、子供達は集って遊び回り、当時は必ずやっていた
『お盆特番の心霊番組』
を見ながら
「わ~!きゃ~!!」
と騒いでいました。
食事会もお開きの時間になると、今度は相手方の家に行って二次会です。
もちろん、子供達も大人にくっ付いて行きます。
そこでは食事ではなく、お菓子やおつまみが振る舞われます。
恐らく意味合いとして、
『食事会はご先祖様をもてなす意味合い』
『二次会はご先祖様抜きの慰労会』
のような感覚なのだと思います。
もちろん、そこで大人達はお酒の飲み直しをし、子供達はテンションマックスで遊びまわります。
当時何をして遊び回っていたのかは思い出せませんが
「とても楽しかったなぁ」
それだけは思い出せる、そんな時間でした。
そんなお盆の話を大人になってからすると必ず
「え!墓参りを夜やるの?」
とビックリされます。
最初にそう言われた時は
「この人はそんな当たり前な事、何をビックリしているんだ?」
と理解できませんでした。
その後、世間的にはお盆の墓参りは昼間に行う方が当たり前だという事を知った私は
「えっ!みんなはお盆の墓参りを昼間やってるの!?」
と驚いた事を今でも覚えています。
私は既に地元で過ごした時間よりも、地元を出てからの時間の方が長くなっています。
しかし、地元を思い出そうとすると、必ずこのお盆を思い出します。
貴方にも強く残る思い出ってありますか?
「ところで、この記事を書いている貴方はどなた?」
と疑問に思った貴方は私の自己紹介もご覧ください。
私は介護に関してこのように
◎、曖昧なまま使われている部分
◎、時代の変化についていけるような情報
◎、介護に対するやる気の向上
等に関する情報を出していきますので、是非また来てくださいね。
ツイッターでは私がその時々で思ったことを気ままに垂れ流していますので、ツイッターのフォローもよろしくお願いします。
等も宜しくお願いします。