介護職員に必要な道徳とは何かを考える。結果を見るか、過程を見るか。
「道徳とか、尊厳とか、介護の世界は曖昧な表現が多すぎるよ!」
「道徳とは何だよ!?尊厳とは何だよ!?誰か教えてよ!」
「ご利用者のために道徳的な介護職員になりたいです!」
そんな貴方のために、今回は
『介護職員に必要な道徳とは何かを考える』
というテーマでお話を進めて行きます。
この記事を読む事で
◎、自分の道徳的目線が偏っていた事に気付き、視野が広がります。
◎、ご利用者の尊厳を今以上に守る介護を行えるようになります。
◎、道徳というモノを明確に意識する事が出来ます。
なお、尊厳とは?に関してはこちらの記事をお読みください。
>>>介護における尊厳とは何か?簡単に一言で言い切ると『自分で出来る事を自分でやって、笑顔で生活できること』
それでは介護職員に必要な道徳について見て行きましょう!
道徳とは何か?道徳を判断する2つの視点
学生のときに
『道徳』
という授業がありましたが、そもそも道徳とはなんでしょうか?
ここでは道徳のことを
『各人の経験を基に考える、良い行いのこと』
と定義します。
そうなんです。
道徳とは、人によって違ってくるモノなんですね。
そりゃそうですよね!
『良い行い』
というモノは人によって感じ方が違いますからね。
そんな道徳を判断する上で、重要な目線は大きく2種類に分類できます。
『結果に注目して判断する目線』と『過程に注目して判断する目線』
です。
貴方の行いが道徳的かどうかを判断する時には、これら2つの目線を意識して考えることがとても大事になってきます。
これらがどういったモノなのかについて、例題を見ながら更に深掘りしてみて行きましょう!
道徳を判断する2つの視点と介護職員の視点
まず始めに例題を出します。
貴方も一緒に考えながら読み進めて下さい。
臓器移植をしないと亡くなってしまう状態の患者さんが5名います。
この5名が必要としている臓器は別々ですが、まだ誰も適合するドナーが見つかっていない状態です。
すると偶然にも一人の健康な男性の臓器が、この5名全員と適合することが判明しました。
さて、この状況で貴方はどうすることが一番道徳的だと考えますか?
もう少し分かりやすく問いましょう。
『健康な男性1名の命』と『患者5名の命』
貴方ならどちらを救った方が道徳的だと思いますか?
<結果を見て判断する道徳心>
道徳を判断する時には2つの視点があると言いました。
一つ目が結果を見て判断する道徳です。
結果をみて道徳を判断する場合。
この問いに対して
『健康な1名の男性の命を失ってもらい、5名の患者の命を助ける』
と判断するのが道徳的になります。
だってそうですよね?
健康な男性1名の命を失うだけで、5名もの人の命が救われるわけですから。
結果だけ見れば
『+4名の命』
です。
道徳的ですよね。
しかし
「いや、ちょっと待って!言いたい事はわかるけど、どうしても違和感が残るんですけど」
という人もいるかと思います。
そんな貴方はもう一つの目線寄りな道徳目線を持っているのかもしれません。
<過程を見て判断する道徳心>
もう一つの道徳目線は
『過程を見て判断する』
というモノでしたよね。
例題で言うのなら
『健康な男性1名の命を守り、5名の患者には亡くなってもらう』
という判断です。
過程を見るのなら
『健康』
という部分に引っ掛かるんですよね。
「そのままならずっと生きていられた健康な男性が、何で他人のために命を失わないといけないの?」
となるわけです。
結果としてそのせいで5名の命は失われますが、健康な男性は自分の人生を全うできるわけですので、これも道徳的ですよね。
つまり、結果を見て判断しても、過程を見て判断しても、どちらの判断をしても
『道徳的であり、非道徳的でもある』
という事です。
これらどちらの視点を持って判断するのかは、貴方の今までの経験によって左右されるという事です。
これが道徳を判断するという事です。
何となくイメージできましたかね?
それでは介護職員としての貴方は、普段どっちの視点を持っているのかを見てみましょう!
<介護現場の現状での道徳心>
介護職員の多くは結果視点で道徳を判断しています。
先ほどの例題で言うなら、健康な1名の男性を犠牲にして、5名を救う方の道徳ですね。
「いやいや、さっきの例題で私は過程を見て判断しましたけど!」
という人もいると思いますが、介護職員という立場を持つと、逆になりやすいんですね。
例えばこんなことに心当たりはありませんか?
『ご利用者を職員の判断でトイレ誘導する』
これって結果を見た道徳にかなり偏った行動です。
貴方が職員都合でトイレ誘導する時を思い浮かべて考えてみて下さい。
なんで職員都合でトイレ誘導するんでしょうか?
「だって失禁してしまったらご利用者が傷つくじゃないですか!」
「失禁したら大変だからですよね。尊厳を守るために。」
のような理由だと思います。
つまり
『トイレ誘導をしないと失禁してしまう』
という結果を見ているわけです。
先ほどの例題と同じで、それが悪いと言っているわけではなく
「貴方の普段の行動は結果を見た道徳に偏っているんですよ!」
ということを意識して欲しいだけです。
ではトイレ誘導の道徳を結果ではなく、過程で見た場合にはどうなるでしょうか?
恐らく普段考えた事もないと思いますので、少し考えてみて下さい。
介護職員である貴方が普段何気なくやっているトイレ誘導。
過程で道徳を見ると、非道徳的な行動になります。
①、トイレに連れて行き、ズボンやパンツを下ろし、陰部を露出させる。
②、排泄をさせて、陰部を拭く(≒触る)
③、ゴワゴワして邪魔なパットを入れる
この過程のどこに道徳がありますか?
ないですよね。
なんなら過程だけを見たら、ただの犯罪行為ですからね。
これらのことから、貴方だけではなく多くの介護職員が普段無意識に
『結果視点で道徳を見ている』
という事がわかりますよね。
ここで重要なことは、
『双方の視点を意識するということ』
です。
つまり、結果に偏る行動をしていても、その際に
「この行為を過程で考えたらどうなるだろうか?」
と考えてみるという事です。
この道徳を見る上で、結果と過程の両方を見る視点についても少し深掘りしてみて行きましょう!
結果にも、過程にも偏らない道徳的視点
実は無意識に物事を見ていると
『結果を見る道徳』『過程を見る道徳』
とどちらかに偏ってしまいます。
しかし、重要なことは
『偏るのではなく、両方の視点を持つということ』
です。
ここまでで貴方は、2つの視点があることを知れたわけですから、両方の視点で道徳を見る土台が出来上がりました。
では、両方の視点を持っているとどんな判断が出来るようになるのでしょうか?
先ほどの例題を考えるなら
『健康な男性の臓器の一部を患者達に提供する』
という判断が出来るようになります。
健康な男性が命を落とさない程度の臓器提供であれば、健康なまま生きていられます。
全員分の臓器提供はないので、患者5名全員の命は救われませんが、3名の命は救われるかもしれません。
すると、結果を見たら
『健康な男性の命+3名の患者の命』(計:4名)
が救われる結果となります。
結果に偏る道徳では5名の命が助かるので
『マイナス1名』
となり一見悪そうですが、健康な男性は健康なまま生きていられるので過程目線での道徳部分が解消されています。
何度も言いますが、どれが良いということではありませんが、偏らない事で
『どちら目線で見ても、それなりに良い結果』
となる新たな選択肢が生まれたわけです。
つまり、両方の目線で考えることで視野が広がったという事です。
視野が広がると選択肢が増え、新たな解決策が思い付き、別の結果が生まれるという事です。
先ほどのトイレ誘導でもそうですね。
結果目線で「失禁をさせたくない。」
過程目線で「でもズボンを下ろす等の行為で不快な思いもさせたくない。」
それなら、
「できるだけ不快な思いをさせないような声掛けや触り方等の細かい部分を工夫しよう!」
「できるだけ自分でやれるようにリハビリを取り入れよう!」
のように選択肢が広がるわけです。
何も考えないで、ただ業務としてトイレに連れて行って排泄介助をするよりも、遥かに道徳的で考えられた介護になると思いませんか?
今回道徳の目線を意識できるようになった貴方には、今日からそんな介護が行えるんですよ!
素晴らしいですね!
あとは貴方が、やるか、やらないかだけの話です。
まとめ
道徳的かどうかを判断する時には、一つの視点に偏ることなく
『結果と過程の両方を見る視点が大事』
ということです。
それによって、自分の道徳的目線が偏っていた事に気付き、視野が広がりましたよね。
ただ漠然とトイレ誘導をするよりも、ご利用者の尊厳を今以上に守る介護を行えそうですよね。
いきなりは難しいかもしれませんが、日常の業務を行う上で、
「今の自分の行動は結果視点かな?過程視点かな?」
と少し意識することから始めてみてはいかがでしょうか?
それだけで、道徳心が強化され、深みのある良い介護が行えるようになっていきますよ!
「ところで、この記事を書いている貴方はどなた?」
と疑問に思った貴方は私の自己紹介もご覧ください。
私は介護に関してこのように
◎、曖昧なまま使われている部分
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