「亡くなった旦那に会いたい」と号泣するご利用者と真正面から向き合う事で笑顔にした時の対応方法。

「亡くなった旦那に会いたい」

 私が夜勤中、ナースコールが鳴り訪室するとご利用者が号泣していました。

 いわゆる感情失禁と言うやつです。


 そのご利用者は90歳を超えている女性で、旦那さんの写真を部屋に飾っており、毎週日曜日には息子さんと外出されています。


 そんなご利用者が深夜に号泣していたわけです。


 最初に訴えを要約すると

「亡くなった旦那さんに会いたい」

と言う事でした。




どのように対応し笑顔にしたのか?

<受容する>

 まずは何故泣いているのか分からなければ対応のしようがありません。

 そのため、まずは受容することにしました。

 何故泣いているのか聞いた後は、次々と溢れて来る感情を受容します。


 ご利用者の言っている事を自分も繰り返して言います。

 実際の具体的なことは後述します。



<落ち着いてもらう>

 ある程度感情を吐き出してもらったら、次は落ち着いてもらいました。


 深夜でしたので、真っ暗なままでは落ち着かないと思い、電気は明るくし、世界からの疎外感を軽減するために肩をポンポンして触れる事を意識しました。



<相手のことを考える>

 この時点で終わらせてしまう介護職員さんが多いのですが、それではただ単に落ち着いただけで、何の解決にもなっていません。

 私はこのご利用者にこの感情を我慢ではなく、乗り越えて欲しいんです。


 そこで向き合いながら、何故泣いているのかを考えました。

 その結果私は

《どうしようもない無力感》

で泣いていると解釈しました。


「旦那さんに会いたい。」

「けれど、会えない事は知っている。」

「でも感情は抑えきれないし、大好きな息子達もいるから死ぬわけにもいかない」

等々の様々な感情が入り混じり、自分には何も出来ない無力感に苛まれている。


 そのように解釈したわけです。

 その根拠は言葉では言い表せません。

《真っすぐにご利用者の目を見続け、涙の拭い方、表情、言葉等々を五感の作用を全て全力で傾け、思考を巡らせて感じたこと》

としか表現できません。



<心に寄り添う方法を考える>

 ご利用者の苦しんでいる心情を見つけたら、次はその苦しみにどのように寄り添うかを考えました。

《自分が何もできない無力感に苛まれている人に向き合う》

 とても難しいことです。


 しかし、そのように意識して考えない限りは絶対に方法が思い浮かぶ事はありません。

 そして寄り添おうとしない限り、このご利用者にこの悲しみや苦しみを我慢させることになります。


 そのため、何でも良いのでご利用者の心に寄り添う意識は向ける必要があります。

 しかし、寄り添う方法が中々思い付きませんでした。


 そこで私は

《亡くなった旦那さん》

と言う部分から、死生観で向き合う方向にしました。



<死生観学習をヒントにお話をする>

 私のツイッターをフォローしてくれている人は分かると思いますが、私は頻繁に

「介護職員にこそ死生観は重要だ!大切だ!必須だ!」

と言っています。


 そのこともあり、死生観で向き合うと方向が決まればヒントは頭に浮かびました。

《死とは何か?》

というこの本に書かれている一部分です。

《死の何が悪いのか?》

を考える項目です。


《最も大切な人と一生会うことが出来ない状態》
と
《目の前で最も大切な人が死亡した状態》
 今後一生会うことが出来ないことは同じ。
 けれど、多くの人は目の前で亡くなるのを見る方が辛いと考える。
 と言う事は、”一生会えない”と言う部分だけに死の悪い部分があるわけではない。

 本でこの例示を出された時に私は

「言われてみれば確かに!確かにそうだ!でもそのように考えたこともなかった」

と感想を持ったのを思い出しました。


 私は、この時に持った感想の方を採用することにしました。

 つまり、

「多くの人は死の何が悪いのか?何が悲しいのかをそこまで深く考えていない。」

と言う部分を利用することにしたんです。


 具体的な話の内容は次に書きます。




ご利用者のリアルな訴え

 概要としての対応方法を見てきたところで、具体的にどのようなやりとりをしたのかをご紹介します。


 これは、要は亡くなった旦那さんに会いたいと言う訴えです。

 このような訴えは介護職員なら全員、漏れなく直面し得ることなので、リアリティを出すため、出来るだけご利用者が実際に言っていた言葉のまま、区切りも付けずに書いていきます。


 他人事ではなく、貴方が一人の時に、一対一での状態で

「自分ならどうするかな?」

を考えながら読んで下さい。


 私が訪室するとご利用者はボロボロと涙を流して号泣していました。

 そして、しきりに

『ゴメンね。ゴメンね。』

と謝ってきました。


「何かあったんですか?」

と聞くと

『お父さんが死んじゃった。大好きなお父さんが死んじゃったの』

『私お父さんが大好きなの。でも死んじゃったの。お父さんに会いたいよ』

との事。


 認知症のご利用者の中には脳内で子供返りをして本当の父親のことを指している場合もあるのですが、このご利用者の場合はそうではなく、《お父さん》とは、旦那さんのことを指しているようでした。


 私は

「そうですか。旦那さんのことが大好きで、旦那さんに会いたいんですね。」

と受容を表すことにしました。


 カウンセリングで言うところの、いわゆる来談者中心療法と言う技法の一種ですね。

 そうしつつ、部屋を明るくし、肩をポンポンして落ちついて貰いました。

 暗いと感情も下向きになりやすいからです。  


 落ち着いてもらいつつ

「このご利用者の心に寄り添うにはどうしたら良い?」

と思考を巡らせました。


 物事はリアルタイムで今まさに目の前で起きているので、その場で自分なりに方針・解答を見つけ出さなければなりません。


 そこでまずは寄り添うために何に泣いているのかを考えます。

 正直ここの時間が私も一番辛く、いつまでも続くかのように思えるほど長く感じました。


 ご利用者と真剣に向き合う意思を常に見せつつ、思考はフル回転させます。

 真っすぐにご利用者の目を見て、表情は柔らかく、受容の意思としてうなづく。

 そうしつつ、ご利用者の言動を一つも漏らさないように集中しながら観察し、脳内は思考をフル回転させる。


『お父さんに会いたい。でも会えない。』

と言う時に涙を拭う。


 言い方や所作からは悲しみよりも悔しさが出ているように見える。

 そのように見ていると

『私どうしたらいい?』

という言葉が出始めました。


 この観察と思考の中で私は、このご利用者は

《無力感》

に苦しんでいると解釈しました。


『亡くなった旦那さんには会いたい。

 けれど亡くなった人とは会えない事は知っている。

 ならいっそ自分も死んで・・・でも、旦那さんと同じくらいに大好きな息子達もいる。

 自分は死ぬ選択も出来ない。

 じゃあ自分はどうしたらいいの?

 私には何が出来るの?』

 このような感情が溢れているように感じたんです。


 つまり今目の前で号泣しているご利用者は、死んだ人と向き合っており、亡くなった人を求めているから無力感に苛まれているわけです。

 そこで私は死生観で解決方法を模索することにしました。


 日頃から偉そうに

「介護職員には死生観が重要だ!」

と言っていることもあり、何が何でも向き合うと決意を固めました。


 そこで頭に浮かんだことが、

《死とは何か》

と言う、死を哲学として考え抜く本の内容でした。


《死ぬ事の何が悪いことなのか?》

を考える項目です。


《最も大切な人と今後一生会えなくなる事》

《最も大切な人を亡くす事》


 どちらも同じ

《今後一生会えない》

です。

 しかし、多くの人は亡くす方を悲しみます。

 と言う事は、死の悪い部分は一生会えないことではない。


 私はこの部分を読んだ時に

「言われてみれば確かにそうだ!」

と初めて気付いたような衝撃を覚えた経験を思い出しました。


 つまり、この経験は言い換えると

「ほとんどの人はこのような深い部分まで死と向き合っていない」

と言う経験でもあります。


 そこで、この発想から少し話をすることにしました。

 正直これは一種の賭けでした。


 もし、このご利用者が私以上に死生観を持っていれば

「何言ってるんだこいつは?何もわかっていないな。」

と思われてしまうからです。


「○○さん。○○さんは今何がそんなに悲しいのですか?旦那さんに会えないことですか?」

と聞くと

『うん、そうなの。お父さんに会えないから悲しいの』

と返ってきました。


 私は続けます。

「なるほど。では、息子さんに週一回会えているけど、会えない日は悲しいですか?それとも待ち遠しいですか?」

と聞くと

『待ち遠しいよ!私息子に会う前日はワクワクして寝れないもん』

と返ってきました。


「なるほど。じゃあどんなことを考えてワクワクするんですか?」

「たぶんですけど、”会ったらどんなお話をしようかな”とか”会ったら一緒に何食べようかな”とか”何処に行こうかな”とかじゃないですか?」

と聞くと

『うん、そうだよ。だってそう考えているだけで嬉しくなっちゃうもん私。』

とのこと。


「なるほど。じゃあ旦那さんに対しても同じように考えてみるのはどうでしょうか?」

「どんなに考えても会えないかもしれません。でも、”会ったらどんなお話をしようかな”とか”会ったら一緒に何食べようかな”とか”何処に行こうかな”とか、考えるだけでワクワクしませんか?」

「それに、そんなに会いたいなら、会った時にどうするかをキチンと考えておかないと、イザ会った時に何もできなくて、それこそ後悔しちゃうんじゃないですか?」

と続けます。


 こう言うと今回は何も言って来ず、色々と考え込み始めたようでした。


「旦那さんは出張とかありましたか?出張で長く会えない時。」

「あったのならその時はどうでしたか?”まだかな。まだ帰って来ないのかな”と今息子さんを待つのと同じように”会った時のこと”を考えていませんでしたか?今の悲しいのはそれと何か違いますか?」


「それに、どうせ思い出すなら楽しい感情で思い出したくないですか?旦那さんのことを考えると悲しくなるのと、楽しくなるのと。どっちの方が幸せでしょうね?」

と更に続けました。


 すると

『・・・私ワクワクする。どうしよう。ワクワクして眠れないかもしれないの』

と笑顔を見せてくれました。


 そして、寝入るまで付き添いました。




最後に

 正直今見返すと、全然ダメな部分は多いと思います。

 特に最後のお話の内容なんて、とても稚拙で、ご利用者を騙して納得させようとしている節もありますからね。


 しかし、あのリアルタイムの中で急な

「お父さん死んじゃった」

に今の私が対応し、寄り添うのはこのくらいが限界でした。


 結果的に笑顔になってもらえ、朝は元気良くいつも通りでしたので結果オーライな部分が大きいです。


 今回は大分反省点と、自分自身の未熟さを実感する経験となりましたが、ご利用者の心と真正面から向き合い、寄り添う経験としてはとても貴重な経験でした。


 しかし、多くの介護職員はそもそも心を真正面から向き合わず、

「認知症だから時間が経てば忘れるでしょう」

と適当に接するケースが多いように感じます。


「分かりました。でも今は夜中で近所迷惑になっちゃうからとりあえず寝ましょう」

としている介護職員さんが多いと感じます。


 それが悪いとまでは言いません。

 しかし、介護職員さんがキチンと心と真正面から向き合わないと、ご利用者は人生の最後を迎える場において、一人孤独に、迫ってくる死と真正面から向き合わないといけない事を意味します。

 物凄い孤独と不安、そして恐怖。

 恐らくこれらに押し潰されるほどだと思います。


 介護福祉士法が改正され、介護福祉士は心に寄り添う事も義務とされました。


 貴方は自分の死を身近な迫ってくるモノとして感じているときに、一人で立ち向かえますか?

 誰かに助けを求めた時に

「いいから寝て下さい」

と言われて救われますか?


 一度立ち止まって考えてみても良い事なのかもしれないと思い、こんな私の稚拙な対応でも長々と詳細にご紹介しました。



「ところで、この記事を書いている貴方はどなた?」

と疑問に思った貴方は私の自己紹介もご覧ください。

>>>ふたひいとは何者?

 私は介護に関してこのように

◎、曖昧なまま使われている部分

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