日本人の心に昔から残る死生観。『武士道とは何か?』

武士道とは死ぬことと見つけたり

 この言葉は聞いた事がある人もいると思います。

 では武士道とは本当に死ぬことなのでしょうか?


 勿論違います。

 武士道とは生きるための考え方の事です。


 この言葉の意味も、

「自分勝手な物の見方は誤った見え方になり得る。だから、最良の選択をするためには自分は死んだモノとしつつ、その世界の中で自分も含めて客観的に物事を見なさい」

ということを言っています。


要は

『主観的に見ると誤るので、客観的に見なさい』

ということで、精神的に自分を抑えて(殺して)考えろという意味ですね。


 今の日本でも通用するモノの見方ですよね?

 武士道とは、このように今の日本人の考え方に根強く残る精神です。


 先ほども言いました。

 武士道とは生きるため、死ぬための考え方ですので、現在の言葉に言い換えると死生観と言えます。

 今回は日本人に残る死生観を簡単に紹介していきます。


 なお、

「武士道とはこれだ!」

という定まった決まりがありません。


 決まった掟はあるのですが、その掟の解釈は各武士それぞれが行っており、文章で伝わっているわけではありません。


 そのため、一つの掟でも様々な意味を持つ事になります。

 いわゆる

『諸説ある』

というやつです。


 それを踏まえた上で読み進めて頂ければと思います。

 なんせ武士道が作られ始めた時代が、それほどまでに古いものですからね。




武士道が目指す知行合一

 武士道を説明しようとするとどうしても難しい言葉が出てきてしまいます。


 知行合一(ちこうごういつ)とは、要は

「知識は人生における具体的な日々の行動に活かせないと意味がないよね!」

という意味です。


 だから武士道とは、武士階級限定の高貴な思想のことではないんです。

 そんな武士道には大きく7種類の大きな軸となる掟が定められています。

 その定めとは

  • 義・・・武士道の礎石
  • 勇・・・勇気と忍耐
  • 仁・・・慈悲の心
  • 礼・・・仁義を形として表す
  • 誠・・・武士道に二言はない理由
  • 名誉・・命以上に大切な価値
  • 忠義・・何の為に生きるのか

となっています。


 次項より、これらについても簡単に説明していきます。

 なお、内容として参考にしたのはこちらの本になります。

『武士道 新渡戸稲造』




武士道の掟①『義』

 武士道の中で最も厳格な徳目である。

 これだけは定まっているようです。


 この義を狭い意味で捉えた考え方は

『卑劣な行動や不正をしてはいけない』


 つまり、

「清く正しく生きなければならない」

と言う事ですね。


 この義を広い意味で捉えた考え方は

『決断する力』


 つまり、

「道理に従い、やるべき事がある時にはためらわずにやれ」

という事ですね。


 今の時代、頭でゴチャゴチャ考えるだけで動かない人がいますよね?

 自分がやるべきだと思ったのなら、躊躇わないで行動しなさいと言う事です。


 武士道では、法律とか納得のいかない義務とか、そんなモノは道理ではないとしています。

 自分の中にある理性が訴えかけて来る正義の感覚こそが道理だとしています。


 アニメ銀魂の主人公はまさにこの義を持っていますよね。

 一見破天荒に見えても、自分の中の正義に従っているだけという事ですね。




武士道の掟②『勇』

 勇は、要は勇気のことです。

 武士道は人それぞれの精神で、決まった一つの答えがないと最初に言いましたが、今の時代でもそうですよね。


 勇気とは何ですか?

 状況や人によって違います。

 武士道の勇気も同じです。


 ただし、

『義(正義)のための行為じゃなければ勇気とは呼ばない』

とされています。


 そのため、義がなければ武士道の掟は成り立たないんです。

 つまり、武士道は正義の感覚の上に成り立つ精神論なんですね。


 今の時代でも使われている

『犬死(いぬじに)』

これは武士道による勇気ではないわけです。


「生きるべき時には生き、死ぬべき時には死ぬことこそが本当の勇気だ」

「そのために恐れるべきモノと、恐れるべきではないモノを識別する事が重要だ」

と考えた人もいます。

 あの有名な水戸光圀(水戸黄門)やプラトンですね。


 今の時代で考えたらどうでしょうか?

 物凄く小さい部分で見たとしても、道端に落ちているゴミを見掛けた時。

 貴方は拾いますか?拾いませんか?

 武士道の勇は拾うわけです。


「周囲にどう見られるだろう?」

なんて事は関係ないんです。


 ゴミを拾うべきと思ったのなら拾えば良いんです。

「周囲にどう思われるんだろう?」

と行動を躊躇させている自分を突き動かすための勇気なわけです。


 自分の中の正義に従った勇気ある行動の一つですよね。

 これが武士道に言うところの勇です。




武士道の掟③『仁』

 仁は

『王者の徳』

と言われます。


 アニメ好きが好きそうな言葉ですよね。


 仁とは今の言葉で何かというと、

  • 寛容性
  • 他者への情愛
  • 哀れみの心

等です。


 今までの義とか勇は自分の中の話でしたが、仁は他者に向ける精神です。

 武士は自分の中の正義(義)に従い、勇気(勇)を持って戦っていました。

 しかし、倒した相手に情けを掛けます。


『武士の情け』

というやつです。

 これが仁です。


 仁では、この情けを掛ける判断をする時には

「その判断が相手に利益や損害を与える行為なんだ!」

ということを含めて考えます。


 だから相手によって、武士の情けで生かすこともあれば、武士の情けで命を奪うこともあるわけです。


「その相手にとってどうなのか?」

を個別に考えるからです。


 武士の時代はこれを生き死にの判断でしていたわけです。

 これは今の時代でも重要な考え方の一つですよね。


《自分よがりな、自分が良かれと思ってしたことが相手にとっては迷惑だった。》

 なんてことがありますが、それは相手のことを考えておらず、自分がやりたいように勝手にやっているから起きる現象です。


 だから

「相手の事を知り、その上で自分の中の正義や勇気とすり合わせて行動しましょう!」

ということですね。




武士道の掟④『礼』

 これは想像通りで、礼儀のことです。


 東日本大震災で、被災者が供給品の配布にキレイに並んで待っている光景を世界が絶賛したことは多くの人が覚えていると思います。


 これがまさに日本の武士道による礼です。

 儀礼として、品性を保つための礼儀のことではなく、他者を尊重するために行われるモノが武士道による礼です。


 だから礼は人間としての心を問うモノと位置付けられています。

 時として海外ではこの武士道の礼は批判の対象となっています。


 何故か?

 それは海外での礼は儀礼として、品性を保つために上級階級の人達が行うモノと位置付けられているからです。


 だからそこが理解されずに、堅苦しいいわゆるマナーというモノと同じに考えられてしまい、

「日本の礼は柔軟性を損なう」

と批判されるわけです。


 しかし武士道による礼の本質は違うんです。

 相手のことを尊重し、同調する精神です。


 そのため

『泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶ』

これが武士道による礼です。


 最も武士道の礼を上手く表現している言葉が、贈り物をする時に

「つまらないモノですがどうぞ。」

です。


「つまらないモノならいらないよ。失礼な」

と言う人がいますが、それは武士道ではなく、礼を勘違いしている海外の人達と同じ感覚です。


 武士道によるこの言葉は

「貴方は素晴らしい人です。そんな貴方にふさわしい『物』はありません。だから『物』では何を送っても意味はないでしょう。だからこそ『物』の価値としてではなく、私の思い、心の印として受け取って頂けないでしょうか?最上級品だとしても『物』では貴方を侮辱してしまうでしょう」

という意味があります。


 何度も言いますが、相手のことを尊重する精神が武士道による礼ですからね。




武士道の掟⑤『誠』

「武士に二言はない」

「男に二言はない」

これらの言葉はこの誠から来ています。


 誠とは一言で言うと

『嘘をつかない』

という事です。


『真実と誠実がなければ礼は茶番であり芝居である』

といった人もいるくらいです。


 これは礼での

「つまらない物ですが」

の本当の意味の部分から想像出来ると思います。


 正直どう思いましたか?

「そこまでへりくだると逆にバカにしてない?」

と思いませんでしたか?


 そうなんです。

 本心として、心から発していないと無礼で侮辱することになるんです。

 だから誠、本心であることが重要になってくるわけです。


 つまりキチンと本心から相手のことを尊重し、実行可能なことじゃないと、それは逆に失礼で相手を侮辱する行為になると言う事です。


 だから、

『(礼として)言葉にした事は真実として実行出来なければ誠ではない』

わけです。


 そして武士の世界では嘘は最も批難されるべき悪行とされています。

 今までの武士道の精神を何も持っていないと言う事ですからね。


 自分の中の正義も、勇気も、他者を愛することも、他者を尊重することもしない者は、行動も出来ない嘘をつくと言うことです。


 だから武士道による嘘とは、他者のためを思っての嘘は嘘に含まないわけです。

 他者を愛し、他者を尊重するための嘘は介護職員なら多くつきますよね?


 これは武士道では嘘ではなく、礼になります。

 もっとも、介護職員の付く嘘の多くは実行不可能なので誠ではないかもしれませんけどね。




武士道の掟⑥『名誉』

 名誉とは

『尊厳と価値』

のことです。


 尊厳についてはこちらの記事をお読みください。


 現在では名誉とは、あまり良い意味で捉えられませんが、武士道での名誉とは

『人を人とするための感性』

と位置付けています。


 恥ずかしいと思う感覚は、人間の自制心であり、道徳心です。

 そして自分の名誉を保つためには寛容性と忍耐力が必要だと説かれています。


 他者に侮辱され、他者を攻撃することで、自分の名誉が傷つくと考えます。


 だから、武士道では

「他者を攻撃して自分の名誉を傷付けるくらいなら、許してしまえ!耐えろ!」

と考えます。


 これは現在の日常の中ではとても重要な考え方ですよね。


 介護施設でも、ツイッター等のSNSでも、どちらでも良いですが、影で自分の悪口を言っている人が居ようと、居まいと関係ないわけです。


「それに応戦すると、自分の名誉が傷つくので、応戦してはいけないよ」

ということです。


 耐えるなり、無視するなりが有効な態度と言われますよね。

 まさに武士道の名誉の掟ですよね。




武士道の掟⑦『忠義』

 武士道による忠義とは

『個より公』

の価値観の事です。


 大勢のためになるなら、個人の害は美徳になるわけです。


 国のために命を犠牲にすると

「喜べ!お役に立てたぞ!」

「国のために命を使える!万歳!」

となるわけです。


 これは第二次世界大戦頃まで、このレベルで残っていましたよね。


 今では流石に命というレベルでは残っていませんが、この価値観・思想は色濃く残っています。

 例えば介護施設。

「施設の為になる。他の職員のためになるから、自分が頑張る!」

 このように考えて、何でも請け負って頑張ってしまっている職員さんはいませんか?


 自分が犠牲になれば多くが助かる方を迷わず選択してしまう。

 これが武士道による忠義の特徴で、日本独特だそうです。


 ただし、武士道は意味のない犠牲は嫌います。

 『勇』で犬死という言葉が嫌われた話はしましたよね。


 だから、意味のない忠誠心は礼にもならない、忠誠相手を侮辱する行為であり、自分自身の名誉も傷つくわけです。


 意味のない、今貴方がやらなくてもよい雑務をパワハラで無理矢理押し付けられた場合を考えて下さい。


「自分がやらないと他の人達が困っちゃう。自分がパワハラを受けている間は平和だ」

と従うのは武士道の忠義ではないんです。


 それは公のための犠牲ではなく、公を侮辱しており、貴方自身の名誉も傷付ける行為なんです。

 だから意味のない忠義は武士道では認めていないんです。


 このように考えると、武士道の忠義とは

『公の為に意味のある個の犠牲』

と捉えた方が近いかもしれませんね。




最後に

 貴方がこの武士道の掟に賛同するか、賛同しないかはどちらでも良いと思います。

 少なくとも、日本人の精神の中にはこの武士道がどこか継承されていると言うことが知れただけでも有意義だと思います。


 どのように生きて、どのように死ぬのか?

 その一つの考え方として武士道を紹介しました。


 死生観というものは一つだけで

「それが正解!」

というものではありません。


 こんな武士道から何か一つだけでも

「確かに!」

と思えるモノがあれば儲けモノだと思います。



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