介護職員の道徳を考える。貴方は道徳をどのような価値観で判断しますか?

道徳とは一体何なの?

<尊厳と同じで曖昧>

 介護の尊厳と同じで、

「感覚的に何となくはわかるけど、具体的に説明しろと言われると出来ない」

 道徳とはそんなモノではないでしょうか?


 ちなみに、介護の尊厳とはこれです。



<道徳とは>

 道徳とは、辞書的な意味では

◎、社会生活を営む上で、守るべき行為の規準

◎、自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。

とされています。


 しかし、今回私が話をするのはこの観点ではありません。

 道徳を判断するための基準の話です。


 そのため、道徳とは

《各人の経験を基準に、善を判断すること》

とさせていただきます。


 言い方が難しいですね。

 簡単に言うと

「人それぞれの経験を基に道徳は形作られているんですよ」

と言う事です。


 つまり人によって違う道徳心を持っていると言う事です。

 このように定義した上で、話を進めていきます。




道徳を決める目線

 その行為が道徳的かどうかを決める時に、大きく2つの目線が存在します。


 それは

《結果を見て判断する目線》

《過程を見て判断する目線》

です。


 次項でそれぞれについて詳しく説明しますので、ここでは簡単に説明します。


《結果を見て判断する目線》

とは、最終的に、結果的に道徳的なら良いと考える目線のことです。


 一人を助けるか?

 大勢を助けるか?

と言う問題で問われる事の多い目線ですね。


 一方の

《経過を見て判断する目線》

は、結果だけ見たら大勢が助かる状況でも、犠牲となる人が惨い状況にならないといけなかったら、過程が受け入れられないと言う事で

「それは道徳的ではない」

と判断します。


 このように、

「結果を重視するか?経過を重視するか?」

 道徳があるかどうかを判断する時には、大きくこの2種類の目線が必要になってくるということです。


 では、もう少し具体的な例を出してそれぞれの目線を見ていきましょう。




結果を見て判断する

 一人の犠牲で大勢が助かる例として、現実的にあり得る事例として臓器移植を例にします。


 適合するドナーがおらず5名の患者が臓器移植を早急にしないと亡くなる状況です。

 5名の必要な臓器は別々の場所です。


 そこに健康診断に来た健康な男性の臓器が偶然にも5名全員と適合することが判明しました。


 この男性一人の犠牲で5名が助かる状況です。

 どちらを助けることが道徳的ですか?


 このような状況で、結果を重視する場合には男性一人に犠牲になってもらい5名を助ける方が道徳的と考えます。


 結果的に一人の尊い命で5名も助かったわけですから、もやもやは残るかもしれませんが、一応の納得は出来ますよね。




経過を見て判断する

 こちらも状況は同じです。

 適合するドナーがおらず5名の患者が臓器移植を早急にしないと亡くなる状況です。


 先程は結果を見て

「一人の犠牲で5人も助かる」

と見ました。


 しかし、経過を見る場合は違ってきます。

「健康な人間の内臓を取り出して犠牲にする。」

という部分を見ます。


 いくら大勢を助けるためとは言え、一人の健康な人間の人生を終わらせると言う事です。


 ここに疑問を持ち、このケースは不道徳と判断することになります。




再度問う道徳とは何だろうか?

 これはどちらが正しいということではありません。

 目線が違うだけで、どちらも適切な判断だと思います。


 どちらも道徳的な目線による判断だと思います。

 しかし、見ている出来事は全く同じなのに、道徳的かどうかの判断は全く違う結果です。


 このように、物事を見る上で道徳と一言で言っても、キチンと自分の目線、価値判断を意識していないと周囲の意見に揺らいでしまうと言う事です。


 揺らいでしまうと一番辛い思いをするのは自分自身です。

 どちらの目線で道徳を考えても辛い面があるからです。


 ただし、

「常に自分はどちらか一方だけを意識する!」

とする必要はないと思います。


 ケースによって自分が正しいと思う方の目線で判断して良いと思います。

 それこそが、序盤で定義した

《その人の経験に基づいて道徳は判断される》

と言う事です。


 ただし、今までのように

「何となく感覚的に」

と言う事ではなく、自分の価値判断はどちらなのか?

をキチンと意識して筋を通す方が、悩む難しいケースほど苦しまないで済むと言うことです。




介護の日常業務での道徳価値判断

 さて、本ブログは介護関係のブログですので、この道徳の価値判断を介護現場に考えてみます。


 実はこの道徳心の価値判断は介護現場には物凄く重要なことです。

 何故なら、介護現場で行われている身体介助のほとんど全ては

《結果を見て判断》

の道徳心で動いているからです。


 例えばトイレ誘導を考えてみましょう。

 どうでしょうか?


 トイレで他人にズボンを下ろされ、排泄を見られることもある。

 失禁を見られることもある。

 経過だけ見たら犯罪級のことですよね?


 しかし、日常業務としてどこの施設でも毎日行われています。

 何ならトイレ誘導しない方が

「虐待だ!」

と言われるほどです。


 しかし、トイレ誘導しないと失禁してしまったり、異臭に繋がったり、

「尊厳を守るために」

と言う事でトイレ誘導をするわけです。


 行為そのもの、経過は人権侵害、犯罪と見られるような行為でも道徳的と見られる。


 これはつまり、結果を見て道徳を判断していると言えるわけです。


 入浴介助も同じですよね。

 他人に裸にされる等々。


 移乗介助も、他人に抱き付かれる。体を触られる。


 食事介助も、他人の都合で食事を口に運ばれる。

等々あげていったらキリがありません。


 全部やっていること自体、経過は不道徳的なことです。

 しかし、道徳的な行為と見られる。

 全部結果を見ているからですよね。


 つまり、介護職員は臓器移植のケースでは、一人の犠牲で5人を助ける判断を普段から

《当たり前に》

していると言う事です。




最後に

 普段意識をしないで自然とやっていることにどのような道徳があるのか?

 自分の道徳心はどのような目線なのか?

 是非意識をして業務に当たってみて下さい。


 そうすることで、経過を見た道徳の観点から、出来るだけご利用者に不具合を与えない介助を考えるようになると思います。


 自分の道徳心が何処目線なのか意識するだけで、貴方の介助がより進化すると思います。


 介護職員は無意識に

《結果を見た道徳心》

で行動をしている。


 だからこそ、

《経過を見る目線では不道徳なことでもある》

と意識する必要があるのだと思います。


 この事を意識して更に介護職員として進化しましょう!



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