瀕死の状態で倒れても意識は残っている!瀕死状態って本人的にはどんな感じなの? <聴力だけの世界>

瀕死と気絶

 瀕死の状態になると意識がなくなると思いますか?

 私の経験上、瀕死の状態時に意識は鮮明に残っています。


 瀕死の状態と同じように

「どんな感覚なの?」

と疑問に思われやすい気絶。


 瀕死の感覚を見ていく前に、気絶をした時の感覚はどうなのでしょうか?


 気絶は失神とも言いますが、一次的に脳の血流量が低下することで引き起こされる意識消失です。


 つまり気絶は意識が消失した状態なので、意識が消失していない瀕死とは全く違う感覚と言えます。


 気絶は周囲から見て

「意識が消失しているだろう!」

と思われて、実際に本人的にも消失しています。


 瀕死は周囲から見れば

「完全に意識が消失しているだろう!」

と思われても、意識はハッキリしています。


 完全な意識消失の気絶は恐らく、我慢できない睡眠に似ているのかと思います。

 ふっと意識が落ちていき、気付いたら周囲が騒いでいたみたいな。


 なお、瀕死状態とひとくくりにして言っていますが、瀕死状態にも様々な状態があります。


 その状況によっては私の言っていることに当てはまらない状況もあると思います。

 ここの記事で言っている瀕死状態とは、あくまでも私が陥った瀕死状態のことを指していますのでご了承ください。




聴力だけは最後まで残る

 介護・医療の世界では知識としては常識なのですが、人の機能で聴力だけは最後まで残ると言われています。


 そのため死の間際にある人の近くでの会話は本人に全部聞こえていますので注意が必要です。


「その会話聞こえていますよ!」

という意思表示が出来ないだけです。


 これについてはこんな実話があります。

 私の祖父が亡くなる前、意識も消失し、

「もっても後1日ですね」

と医師から宣告されたとき、家族は近くで葬式の話をしてしまったそうです。


 そして、亡くなる1時間前、急に意識が戻り、祖父が最後に言った言葉が

「さっきの葬式の話は俺の葬式の話か?ふざけるなよ!失礼な」

でした。


 人は亡くなる本当の直前には状態が戻ることがあります。

 この言葉を発した時はまさにその直前期の一時的な戻りだったんですね。


 最後の言葉がこれでは悲しいですよね。

 しかし、これを言わせているのは周囲の人間です。

 だから、死の間際にある人の近くでの会話には注意が必要なんですね。


 更に、亡くなりそうな時に医師が

「声を掛け続けてあげて下さい」

と言うのは、本人に声は聞こえているからですね。




聴力だけの世界とはどんな世界?

 では、周囲からは

「もう亡くなる直前」

と見られるけれど、聴力は生きている

《聴力だけの世界》

は、本人的にはどんな感覚なのでしょうか?


 普段意識しないでも、人は五感が働いています。

 触覚、視覚、味覚、嗅覚、そして聴覚です。


 この中で聴覚だけになるとはどんな感覚なのか興味ありませんか?


 私は、完全な意識消失の経験はありませんが、この瀕死状態の聴力だけの世界は経験したことがありますので、ご紹介します。




私が倒れた時の状況

<部活>

 私が倒れたのは高校生の柔道部、部活動の時です。

 季節は夏。

 柔道場は風通しは悪く、窓を開けていても全然風が通りません。


 顧問はいわゆる昔ながらの精神論者で、

「運動中に水を飲むな」

系の指導者でした。


 部長だった私の練習メニューは基本的に厳しくされていました。


 しかしそれだけではなく、私自身も手抜きを一切しない人だったので、休憩なしで辛いメニューを科せられても全力でこなしていました。


 通常から厳しめのメニューなのに、その日は特に厳しい状態でした。

 5時間ぶっ通しでインターバルの休憩も一切なし。

 自分よりも格段に各上の顧問と最初に乱取りを30分くらいやった後にそれでした。


 柔道経験者なら分かると思いますが、自分より各上の人と、全力で追い込み稽古をすると3分やるだけでも、ヒザに手を突いて肩で呼吸をするくらいに辛いことです。


 それを30分やったあとに、5時間休憩一切なしのぶっ通しの練習です。

 もう全身の筋肉は悲鳴を上げており、腕が上がらない状態を気力だけで何とか立っていた状態でした。



<倒れた>

 気力だけで何とか立っている状態で顧問から

「終わり。水飲んで来い」

の号令が掛かりました。


 そして水を飲もうと水道まで歩いて行こうとした途端、私は倒れました。


 耳がキ~ンと鳴り、目の前がチカチカし始め、そのチカチカが視界を埋め尽くしました。

 この時点で耳以外の感覚を全て失いました。


 そのため、この時点での私がどんな状態だったのか私は見ていません。

 後になって聞いた話では、白目を剥いて、崩れるように倒れ込み、全身が大きく痙攣し続けていたそうです。




倒れた時に私が感じていた世界

<意識はある>

 ちょっと考えてみて下さい。

 貴方の目の前の人が、白目を剥いて、崩れ落ち、全身痙攣を起こしていたら、その人に意識があると思いますか?


 もちろん本当に居合わせたら、応急処置や救急車等、それどころじゃないでしょうが、今は考える余裕があるわけですから、どうでしょうか?


 当時私の周囲にいた人達に聞いたら全員が

「そんなの意識がないと思うに決まってるでしょ!先輩が死んじゃうと本気で思ったし!」

と言います。


 しかし、実はその時の私に意識はありました。

 しかも、かなりハッキリとしており、冷静な状態でした。



<聴力だけの世界>

 倒れた時、確かに鮮明に意識は残っていますが、聴力以外の感覚が全て麻痺していました。


 逆を返すと、聴力だけは残っていたんですね。

 人って普段どれだけ感覚を分散しているのかがとても良く分かります。


 聴力だけしか機能していない状態になると、聴力が尋常じゃないくらいに敏感になります。


 あの感覚は今でも覚えているのですが、聴力だけで周囲の状況が把握できました。

 何度も言いますが、聴力以外は麻痺しているので、見えませんし、肌の感覚もありません。


 しかし、音だけで誰が何処にいて、何をしていて、と言うのが全部把握できていました。


 それどころか、隣部屋の状況まで把握できていました。

 私が倒れた場所は道場に隣接している水道の前だったのですが、道場内の人の動きも聴力だけで把握できたんです。


 それどころか、隣の剣道場の動きまで把握できました。

 剣道部の人達も

「柔道部で何かあったみたいだぞ!」

とバタバタしているのが手に取るように分かりました。


 聴力だけになると、このくらいまで感覚が研ぎ澄まされます。



<自分のこととは受け止められない>

 しかし、聴力だけなので、正直その事態が自分のことだとは感じられません。

 他人事に感じるんです。


 触覚も麻痺しているため苦痛は一切ありません。

《聞こえる》

これ以外存在しない世界です。


 聞こうと思って聞いている世界ではなく、勝手に耳に入ってくる音を聞いているだけの世界との表現が一番シックリきます。


 そのため、他人事に感じるわけですね。

 これは結構不思議な感覚です。


 物凄く敏感になっている聴力のお陰で周囲の状況は手に取るように分かるのに、そこに自分は存在していない感覚。


 俯瞰(ふかん)してその場を眺めているような感覚です。


 世間的には

「あぁ、これがいわゆる臨死体験、幽体離脱と言われる現象かな?」

と感じる感覚です。


 このように感じるのは今だからです。

 ちょっと説明が難しいのですが、その状態にある時には

「これが臨死体験?幽体離脱?」

のようには考えられません。

 なんせ、そこに自分の存在はない感覚なので。




最後に

 介護や医療の世界では知識としては常識とされているこの

《聴力が最後まで残る》

と言うことの貴重な体験でした。


 聴力だけになることで、感覚が研ぎ澄まされ敏感になると言うのはどの教科書にも載っていませんからね。


 そして、世に言われている臨死体験、幽体離脱と言われている現象。

 これは、普段五感に分散されている感覚が一つだけになった時、その感覚が異常に研ぎ澄まされることで得る感覚による体験だと言えます。


 もしこのようにハッキリと聞こえているなら、貴方は大切な人の死の間際、どんな言葉を伝えますか?



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ふたひいに

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