教員免許取得のための介護施設研修の意味とは?

教員免許取得には介護施設研修が義務

 厳密には小・中学校の教員免許を取得するための義務です。

 そのため、それ以外の教員免許取得上では義務ではありません。


 それはともかく、何故教員と一切関係ないような介護施設での研修が義務化されたのでしょうか?


 その目的は義務化する際に制定された法律に明記されています。


【小学校及び中学校の教諭の普通免許状授与に係る教育職員免許法の特例等に関する法律】

第一条: 義務教育に従事する教員が個人の尊厳及び社会連帯の理念に関する認識を深めること ~中略~ を目的とする。


 つまり、介護施設で研修を行うことで

【尊厳を学ぶ】

【社会連帯を学ぶ】

と言う2つの目的があるわけです。


 教員免許取得を目指している貴方や、教員免許取得のための実習生を受け入れている介護職員はこのことを知っていましたか?


 これを意識して研修を行うか、行わないかでは雲泥の差が出ます。

 今回はこの教員免許取得のための介護施設実習に関してのお話です。




尊厳を学ぶ

<尊厳とは?>

 介護の現場において

【尊厳】

と言うモノはとても重視されます。


 だから介護施設からこの尊厳を学んで欲しいと言う事かと思います。

 では、そもそも

「尊厳とはなんでしょうか?」


 尊厳と言うモノがどんなモノを言うのか分からなければ尊厳なんて学べません。


 私の考える尊厳の概念に関しては

【介護現場における尊厳とは何か?】

をお読みください。



<私が実際に教員免許実習生にする話

「尊厳とは何か?」

を教科書的に教えてもあまり意味はありませんし、正直つまらないと思います。

 そこで私は実習生に対して、必ずこのような話をします。


 介護施設とは、人権を侵害している場所です。
 だってそうでしょ?
 いきなりトイレに連れ込んで、ズボンを下ろす行為。
 これって人権侵害、貴方がされたら犯罪として訴えるでしょ?
 他にもお風呂だってそうですよね?
 いきなりお風呂に連れ込まれて裸にされる。
 食事だってそうです。
 食事のタイミング、メニュー、量等は管理されていますが、要は自由に食事出来ないと言うことです。
 これらって人権侵害じゃないですか?
 まずはこの認識を持って見て下さい。
 これらの行為が人権侵害だと言う目線・感覚は正常です。
 では介護施設とは犯罪を正当化している異常な場所なのでしょうか?
 貴方は犯罪組織に実習として来てしまったのでしょうか?
 そこで次に見て欲しい部分がご利用者の表情です。
 人権侵害をされた後の表情はどうでしょうか?
 笑顔で
「ありがとう」
と言っている人がほとんどではないでしょうか?
 何故でしょうか?
「ありがとうと言え!笑え!」
と脅されているのでしょうか?
 もし本心からの表情・・言葉なら、何故自分の人権を侵害した相手に対して笑顔で感謝していると思いますか?
 もしかしたら、教師として尊厳を学ぶと言う本質はその部分にあるのではないでしょうか?
 このような視点で実習を過ごしてもらえると有意義な実習になるのではないでしょうかね。

 このような視点を持たずに実習を受けさせてしまうと

「はぁ、また適当に会話させられて終わり。掃除をやらされるだけ。邪魔者としてお荷物扱い・・・教員免許のために頑張るけど、疲れる。早く終わらないかな」

となってしまいます。


 それでは施設側も、実習生側も、どちらも不幸なだけです。

「教員実習生が介護施設から学べる尊厳とは何なのか?」

 これをキチンと考え、示さないと不幸を生む実習になってしまいますからね。




食に関する尊厳

 介護の世界では尊厳とはあまり関係ないことですが、教員の世界では生徒の尊厳を守るために重要な知識もあります。

 私はいくつかそのようなことも教えます。


 そんな中でも今回は

【食】

に関してお話をします。



<ご飯を残させるという尊厳>

 介護職員にとってご利用者が食事を残すことは当たり前なことです。

 その部分から体調不良や命に関わるような重病を見抜きます。

 そのため、尊厳と言うよりも、ご利用者を把握するために重要という感覚です。


 しかし、教員にとっては生徒の尊厳を守ると言う観点で、食事摂取に関するこの辺りの知識はとても重要になります。


 貴方は、給食等食事を残す行為をどう思いますか?

 悪いことと感じてしまうかもしれません。

 しかし、尊厳を守ると言う観点ではその考え方は危険です。


 何故か?

 お腹一杯で残している場合、それでも無理して食べさせることは尊厳を傷つけていませんか?


 尊厳と言う言葉を使うとイメージしにくいなら、言葉を分かりやすく言い換えましょう。


 お腹一杯な生徒に無理矢理全部食べさせる行為

 それって生徒は、食べることを嫌いになりませんか?


 食べることが好きな生徒に対して、食べることが嫌いになるようなことを強要する行為は尊厳を傷つけていると言えます。


 そんな強要は食育ではありません。

 単なる教員のエゴです。

(ちなみに私は、自己紹介に書いているその他諸々の資格の中に、食育に関する資格も持っています!)



<嫌いな食べ物を残す尊厳>

【食べることを強要】

 食に関して、教員が侵害しがちな行為に

【嫌いな食べ物でも食べさせようとする行為】

があります。


 昔ながらな教員に多く見られるのですが、その言い分は主に

「栄養価が高いから食べなさい」

「生産者に失礼だから食べなさい」

と言う理屈です。


 しかし、尊厳を守ると言う意味でも、事実としても、どちらの意味合いでもこれは誤りです。


【消化・吸収しないと意味がない】

 まず栄養価に関してですが、食べ物が良い効果をもたらすためには、食べ物を消化・吸収して初めて効果が出ます。

 しかし、嫌いな食べ物を強いストレスを抱きながら摂取すると消化不良を起こし得ます。


 つまり、重要な吸収がし難くなるんですね。

 体質が合わないとか、アレルギーでもない限り、吸収量がゼロではないでしょうが、頑張った割には意味がなさ過ぎますね。


【生徒の将来の可能性を奪う】

 そして、嫌いな食べ物に対して、そのような嫌な記憶ばかり植え付けてしまうと、将来的にもその食べ物が食べられなくなります。


 大人の貴方はこんな経験をしたことはありませんか?

 子供のころは嫌いだった食べ物が、

「大人になったら食べられるようになった。」

又は

「大人になったら好きになった。」


 子供のころに、嫌な経験を積み重ねさせていると、この将来好きになる可能性を奪うことになるんです。


 つまり、生徒に対して嫌いな食べ物を無理してでも食べさせる行為は、その生徒の将来をも奪う愚行なんです。


 教員はそれでもいいですよ。

 生徒が卒業してしまえば、もう会うこともない赤の他人になれますから。


 しかし、栄養価の高い食べ物を食べられる可能性を一生剥奪されてしまった生徒にとっては一時的なことでは済まないんです。


 嫌いな食べ物を無理に食べさせる行為とは、このように生徒の将来や可能性の一つを奪う行為です。

 尊厳を奪っているわけですね。


 摂取した食べ物がその人にとって栄養価が高い食べ物かどうか?の目線での消化吸収の詳細に興味がある貴方にはこの本をオススメします!


【生産者に失礼?】

「食べ物を残したら生産者に失礼」

と言う理屈にも私は賛同しません。


 私の実家は農家でして、子供のころから準備~出荷まで全工程において手伝いをし続けていたので、その大変さは身を持って知っています。


 その上で、嫌いな食べ物を無理して食べさせる行為は生産者に失礼な行為ではありません。


 確かに、出来ることなら食べて欲しい気持ちはあります。

 しかし、自分が丹精込めて作った作物を泣きながら食べて欲しいとは思っていません。


 その生徒の将来を奪ってまで、その時だけ食べて欲しいとは思っていません。


 生産者は

「食べたい」

「大好物!」

と言う人に食べて欲しいんです。


 この思いは、人の尊厳を傷つけてまで強要して欲しいとは思っていません。

 自分が丹精込めて作った作物を悪者に仕立て上げないで欲しいです。

 もっと嫌いになるような強要をしないで欲しいです。


 だから、食を強要する行為は生産者のためではなく、教師の単なるエゴなんです。




最後に

 他にも私が教えることとしては

  •  消毒の仕方や溶液の選択方法。
  •  協力して物事を行う重要性やメリット
  •  介助者・教育者としての関わり方・立ち位置、距離感

等々。

 その場、その場で教えるのに丁度良い機会が訪れる度に教えます。


  教員免許実習生にやらせることがない・・・?

  教員免許実習でやることがない?学ぶことはない・・・?


 本当ですか?

 こんなにも見るべき部分、学ぶべき部分が山ほどあるのにですか?


 私には

「学ばせる気がない。」

「学ぶ気がない。」

と言っているようにしか見えませんが、皆さんはいかがでしょうか?



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